静岡県やその周辺のハイキングコースを紹介していきます。今回は静岡県中部、島田市金谷〜掛川市日坂という東海道に沿ったルートを歩きます。2回の急登・急下りがあり、東海道の中でも難所のひとつですが、ひとつの道でいろいろな時代を体感できる、大変ドラマチックでおもしろいルートです。

ルート概要

難易度:★★★★☆(2回の急登・急下りがあります)
適期:夏以外(舗装路が多いので暑くない時期がいいと思います)
始点:JR金谷駅
終点:JR掛川駅(事任八幡宮からバス利用
距離:約8km
所要時間:約4時間(休憩・昼食含む)
※赤ちゃん連れののんびりペースで歩いた場合の時間です。

アクセス

始点・終点がJRの駅となっていますので交通は便利です。車ならば、JR掛川駅側でコインパーキングを探すことをオススメします。JR金谷駅の徒歩範囲にはほとんど駐車場所がないので。。。。掛川駅〜金谷駅は2駅の距離です。
また、JR掛川駅へのアクセスは東名・掛川ICが良いと思います。新東名・島田金谷ICからJR掛川駅に向かうルートは渋滞が多い印象ですし、今回歩くルートと少し被っていますので興ざめの恐れがあります。

JR金谷駅からスタート

JR金谷駅から歩き始めます。最初が少し複雑なのでご注意ください。駅を出て、坂を下る方向に少しいくと、下の写真のトンネルがありますのでここで線路をくぐります。トンネルを出てすぐのT字路を右(再び駅側に登る方向)に進みます。

トンネルの手前にはこのような案内看板があります。「諏訪原城跡」や「石畳」を目指すルートにのりましょう。
我々は今回も1歳の娘ちゃんを背負って歩きます。

江戸末期の旅を体感「旧東海道石畳」

金谷駅の裏側を通過して古い町家風の民家が並ぶ急坂を登り、道路を渡るとこのような看板がありますので、斜面を登る方向に進みます。

石畳茶屋meguri」という古民家カフェがあります。

囲炉裏のある板の間や縁側に座ってお茶や食事を楽しめます。石畳観光に来た際には、休憩がてら縁側で煎茶セットを味わうのがオススメですが、今回は先が長いので通過します。

茶屋の脇に石畳の入り口があります。

東海道の金谷坂は急坂なうえに「あおねば」と呼ばれる粘土層が露出して雨が降るとぬかるみ、大名行列や旅人は大変苦労しました。そこで江戸時代末期、約400間(約720m)の石畳が「山石」を敷き詰めて造成されました。この時使われた山石は、牧之原台地の耕作土の下に厚く堆積している「牧之原礫層」に含まれている大井川の河原石と同じ丸石で、ザラついて滑りにくいものです。島田市観光協会WEBサイトより

大昔の舗装路ですね。ごつごつとした大きな石の間の溝に足を取られて歩きにくいと感じましたが、濡れた粘土の上を歩くよりは確かにマシな気がします。歴史を感じる道です。

石畳への願いを現代に繋ぐ「すべらず地蔵尊」

石畳の中盤に「すべらず地蔵尊」があります。こちらは現代の1993年に建立された新しいお地蔵さんです。

長い間旅人の足元を守ってきた”滑らない山石を敷いた石畳”に因み、このお地蔵様を「すべらず地蔵」と呼び、合格祈願や商売繁盛の名所となっています。毎年1月に開催される「すべらず地蔵祈願祭」では、”安全に・滑らず・転ばず・着実に進めるように”と、のぼり旗を揚げたり、絵馬やお守り、合格祈願鉛筆を求め、(中略)、県内外からたくさんの参拝者が訪れます。島田市観光協会WEBサイトより

小さな六角堂の中にお地蔵さんがいます。

このように2体が寄り添う形のめずらしいお地蔵さんです。一人が旅人を、もう一人が家族を表しているとのことです。

江戸時代のように長い距離を歩いて旅することは無くなりましたが、人生という旅は昔よりも長くなりました。その時々に訪れる難所を着実に越えていけますように、、、、石畳を作った人たちの思いを現代に引き継いでいるのですね。

戦国時代・武田軍の夢の跡「諏訪原城跡」

石畳を登りきったら、道路を右側・菊川方面に進みます。道沿いにおしゃれなコーヒー屋さんがありました。

アルム珈琲店」です。古民家を生かした雰囲気の良いお店です。今回は先が長いので立ち寄りませんでしたが、石畳や茶畑をお散歩する際にゆったりと休憩して行ってはいかがでしょうか。

アルム珈琲店から先に進むと、道沿いの広い駐車場の奥に「諏訪原城跡ビジターセンター」があります。外見からは、なんだかよくわからない施設で、素通りしてしまいがちなのですが、実はここは戦国の世の夢が垣間見える、壮大で素晴らしい観光スポットなので是非立ち寄ってみてください!
入場無料ですし、トイレもあるのでハイキング中に便利な場所です。

まずは、ビジターセンターの展示を見て諏訪原城の歴史を学びましょう。
今川氏滅亡後の1573年頃、武田信玄の息子・武田勝頼が、大井川以西の徳川家康の領地(遠江)を攻めるために造ったのがこの城です。牧之原台地にありますが、城内に諏訪大明神を祀ったため「諏訪原城」と呼ばれたとのことです。(Wikipedeiaにさらに詳しい説明が掲載されています。)

ビジターセンターの裏手に進むと、建物は残っていないものの、林の中に自然の地形とは異なる大きな掘の跡があり、壮大な山城だったことが想像できます。

この諏訪原城は牧之原台地の突端にあり、周りは断崖です。当時の駿河国と遠江国を隔てる大井川を東側に見下ろしつつ、侵入路を一方向に限定させる位置どりになっています。
今では大井川からの風が抜けてきて、石畳の急登で汗をかいた後に大変気持ちのいい場所です。

何もない広い原っぱのようですが、迷路のように掘りが巡っており、全然まっすぐ進めません。見学ルートに沿って敷地をしっかり周ろうとすると30分はかかります。さすがは戦国の山城です。

写真ではうまく表現できていませんが、見下ろすと恐怖を感じるほどに深くて急峻な掘です。簡単には侵入できなかったのがよくわかります。
戦国の城を探検する気分で、一回り歩いてみることをオススメします!

菊川の里に下る石畳「菊川坂」

諏訪原城の先に、菊川の里に下る石畳が見えてきます。前述の金谷坂石畳の分、下っていきます。

平成の時代になって旧金谷町などの人の手により復元されたものです。(私も小学校のときにちょうど下の写真のあたりの石をひとつ設置した記憶があります。)

風通しの良い木陰がちょこちょことあり、比較的歩きやすい道でした。

金谷坂も菊川坂も石畳の大部分は現代に復元されたものですが、一部、江戸後期に作られたものがそのまま残っている区間があります。大変貴重なものですので、昔の旅人への思いを馳せながら歩いてみてください。

石畳の途中から、東海道の正規の宿である金谷宿と日坂宿の間にある「間の宿」とされた菊川の里の街並みが見えてきます。
菊川の里の道沿いに説明書きの看板がありますが、金谷〜日坂の区間は2つの山越えがあり、東海道でも指折りの難所であったため、人足や旅人の休憩に便宜をはかって作られたそうです。菊川では、金谷宿の許可がないと旅人を泊めることができず、本格的な料理を出すことも禁じられていたそうです。か
、、、、なんだか現代社会の正規社員・非正規社員の関係のようで切ない感じがします。。。

菊川の里を抜けると下の写真のような看板があります。「小夜の中山」を目指して進んでください。※見落としやすい看板なので注意して探してみてください。

「小夜の中山」鎌倉時代から旅人の思いを残す東海道の難所

「小夜の中山」(さよのなかやま)とは、掛川市の佐夜鹿という地域にある峠の事です。標高250m程度で、それほど高いわけではないのですが、急峻な斜面に対してほぼまっすぐ登っていく急坂は東海道の中でも箱根等と並ぶ難所とのことです。
下の写真は東側の菊川の里から小夜の中山を登る坂道です。

google mapの機能で等高線を表示してみると、東海道は等高線に直角に引かれており、坂の険しさが伝わってきます。それでも周辺に沢と山しかないこの場所では、良い迂回路は無かったのでしょう。現在では北側にトンネルが彫られ、沢沿いに迂回する道路が敷かれています。

我々は6月上旬に歩きましたが、暑くて道路の照り返しもあり、過酷でした、、、このルートはほぼ舗装路なので日傘があると助かります。

険しい坂道ですが、周りの山に広がる茶畑の風景が素敵です。4月〜5月の新茶の時期には香ばしい製茶の香りを楽しみながら歩けると思います。

登坂を登り切ると、後述の久延寺と夜泣き石があります。その後は台地の上の平坦な道路をしばらく進みます。

日当たりが良くて暑かったです、、、、

北側には山肌に「茶」の文字が描かれている「粟ヶ岳」があります。単調な道の暇つぶしに見つけてみてくださいね。
※この粟ケ岳の「茶」の文字は新東名を東京から名古屋方面に向かう際に「島田金谷IC」の付近を走りながら右手前方にみることができますよ。

こちらも地点としては後述の夜泣き石の先になりますが、道沿いに小夜の中山を描いた浮世絵の碑がありました。

この絵だけ見た人は、「こんな急坂なわけないでしょ、、、」と信じられないかもしれませんが、実際に歩いてみると精神的にはこの絵の通りだとわかります(泣)

こちらが日坂宿に至る下り道です。まるで壁のような急勾配です。

急勾配を少しでも緩和するために道がくねくねと曲がっています。写真ではうまく表現できませんが、ただ歩くだけでも怖いくらいの斜面でした。

娘ちゃんも怖くて歩けなさそうです。

東海道ができた鎌倉の時代より、この小夜の中山を詠う歌が多く残されているようです。山頂にある「小夜の中山公園」には、1143年と1186年、人生の初期と晩年に奥州に向かう旅の中でここを歩いた西行法師の「年たけて また越ゆべしと 思ひきや いのちなりけり 小夜の中山」などの歌碑があります。
さらに1600年代の松尾芭蕉の句「命なりわずかの笠の下涼み」もあります。
この過酷な道のりの中で、旅人たちは人生や命を感じずにはいられなかったですね。

「夜泣き石」の悲しい伝説

小夜の中山の山頂にある「久延寺」(きゅうえんじ)には夜泣き石の伝説が祀られています。

いつの時代かはよくわかりませんが、その昔、小夜の中山に住んでいた妊婦が菊川の里で仕事をして帰る途中、陣痛に見舞われ苦しんでいた際に通りかかった男に斬り殺され、金を奪われました。そばにあった丸石に妊婦の霊が乗り移り、助けを求めて泣いたため「夜泣き石」と呼ばれるようになった、とのことです。

幸いなことに、妊婦の傷口から産まれた子供は夜泣き石の泣き声によって久延寺の和尚に発見され、乳の代わりに水飴を与えられて無事に育てられました。その子は後日、仕事を通じて敵の男に偶然出会い、見事に仇討ちを果たした、、とのことです。

子供を育てた水飴は、久延寺の横のお店「扇屋」さんで昔ながらの製法で作られ、小夜の中山の名物として今も販売されています。

「つらいことがあっても元気に育ってね」という思いを込めて、1歳の娘ちゃんに買ってあげました。優しい自然な甘さで、小さい子に良さそうです。娘ちゃんは噛んでしまってうまく食べられませんでしたが、、、

扇屋さんは歴史を感じる佇まいで、子育て飴以外にもいろいろおもしろい物が置いてあります。休憩がてら立ち寄って見てください。

夜泣き石についてはもうひとつ、悲しいお話があります。現在、久延寺に置かれている石は本物の夜泣き石ではなく、よく似た丸石を夜泣き石本来の地の近くで祀ったものとのことです。
小夜の中山の絵からわかるように、本来は人の往来する東海道の真ん中にあった大きな丸石でした。しかし、明治元年に明治天皇がここを通過する際に脇に寄せられ、その後東京の博覧会に出品されて見世物にされたものの失敗に終わり、焼津港あたりで放置されていたものをこの地域の人たちの手でなんとか現在の位置(国道1号線の道路脇)まで運ばれたとのことです。。。

発端から現代に至るまでなんとも悲しい運命の石ですね、、、、本当の位置には下の写真のような石碑が置かれていました。ここを通るハイカーが伝説を知り、妊婦の無念を悲しむのがせめてもの供養でしょうか。。。

扇屋さんの横のベンチで昼ご飯休憩としました。

「東海道・日坂宿」応仁の時代から続く交通の要所

小夜の中山を下り国道を渡ると、日坂の宿場町に入ります。応仁の時代(1400年代)の文献から歴史に登場しているようです。東海道の中では最小規模の宿場町とのことです。浮世絵からも急峻な山間の小さな里だったことが見てとれます。

日坂のメインの道路沿いには古い宿屋の跡がきれいに保存されていて、外見だけでなく中の様子も無料で見学できます。公衆トイレも整備されているのでのんびりまわってみてください。

大名などのVIPが宿泊していた本陣は、幕末の消失後に再建したものの、明治の時代に廃業してしまったそうです。

庶民格の宿「萬屋」さんを見学してみます。

一階はレセプションにあたる「帳場」で、2階が客間となっています。

広々としていて風が通る間取りで、難所の後の休憩にも良さそうです。同時に大勢の人を迎えられるよう玄関框(かまち)が広いのですかね。

2階は大広間となっていました。当時はほとんど雑魚寝状態の宿泊だったみたいです。現代の山小屋やカプセルホテルみたいな感じでしょうか。あまり飾り気はなく殺風景な感じですが、障子の戸や畳が懐かしいです。

身分の高い武士などが宿泊した『脇本陣格』だった「川坂屋」さんにも入ってみました。※さきほどの萬屋さんも、こちら川坂屋さんもかなり奥まで入って見て回れるのですが、見学も説明も全て無料でした。

こちらは要人を泊めていたためか、細かい木組みの格子や石垣が印象的です。写真はありませんが、有名な山岡鉄舟や西郷隆盛さんの弟・従道さんの書が残されています。

電車の「東海道線」が開通する際、小夜の中山を迂回することとなり、日坂宿は交通の要所ではなくなり、市街化から取り残され衰退しました。
、、、、と、wikipediaには書いてあったのですが、東海道五十三次の観光の面では宿場の建築が多く残され、今となっては大変に価値のある面白い場所だと感じました。反面、JRの駅ができた島田宿や金谷宿などは、宿場の面影を残す建物や観光資源はほとんど見当たりません。昨今、日本の古くからの文化を楽しむ観光客が増えている中で、どちらが良かったのか、、、、それはまた、これからの歴史が回答してくれることでしょう。

「事任八幡宮」言葉のままに叶う願い事の神

日坂宿の西側の入り口に「事任八幡宮」(ことのまま八幡宮)があります。平安の時代からの文献に登場する由緒ある神社です。

『主祭神の己等乃麻知比売命(ことのまちひめのみこと)。ことのまちの「こと」は「事」でもあり「言」でもあります。言の葉で事を取り結ぶ働きをもたれる神様として、(中略)、天と地と人を結ぶ、とても大切なお働きをなさる神様です。』神社のWEBサイトより

歴史の中では、「ことのまま」の名前が「事(言葉)のままに願いを叶えてくださる」として伝わり、多くの人の信仰を集めた神社だそうです。
平安時代の「枕草子」や江戸時代の「東海道中膝栗毛」にも登場しているとのことです。

境内には数多くの巨大なご神木があり、敷地全体が緑の屋根に覆われています。違う世界に来てしまったかのような感覚になります。

なかでも、ひときわ大きな楠。この空間にいるだけで心が洗われるようです。

天気が良すぎて暑い1日でしたが、事任八幡宮は全体が木陰で風が通って、とっても涼しかったです。東海道を歩いた旅人も、参拝をしつつ境内に座って一休みしていったことでしょう。

我々の金谷〜日坂ハイキングはここでゴールです。東海道の難所「小夜の中山」を中心に、様々な歴史と伝承に彩られ、歩いていて楽しいドラマチックなコースだと思います。

事任八幡宮からJR掛川駅まではバスを利用できます。1〜2時間に1本という感覚なので、掛川市の路線バス「掛川バスサービス東山線」の「八幡宮前」バス停の時刻表を事前に確認しておいてくださいね。(2019年現在の休日の時刻表は11:15、13:15、15:15、16:55という感じでした。)
もし時間が空いてしまったら、八幡宮から見えるところにある「道の駅掛川」に立ち寄ってみることをオススメします。農作物や食事処、パン屋、カフェ等々豊富にあり、地元でも大人気の場所です。牧場のソフトクリームや、外のカウンターで売っているメロンジュースなどが美味しいです。

地元民の周辺オススメ観光情報

ハイキング前後にオススメの観光スポットをご紹介します!宿泊がてら、ひとつの旅行として楽しめると思います。

掛川城と城下町:JR掛川駅から徒歩圏内です。大河ドラマや小説で有名な「山内一豊」が築いたお城です。現在のお城は1994年に復元されたものですが、日本初の木造天守閣として美しさを再現しています。周辺の掛川市街地も城や歴史の雰囲気を生かしたお店などがあり、散歩してみると楽しいと思います。

掛川花鳥園:温室でさまざまな鳥をみることができます。大群が温室内を自由に飛び回っていたり、ペンギン、エミュー、白鳥の餌やりなど、子供から大人まで丸1日楽しめる見所満載の鳥テーマパークです。>公式WEBサイト

法多山尊永寺:「はったさん」と読みます。掛川市の西隣、袋井市にありますが東名掛川ICの近くにあります。独特の形の厄除け団子が有名で、初詣の時期には地元民が押し寄せます。駐車場から本堂までは20分くらい、ちょっとしたハイキングです。>公式WEBサイト

炭焼きレストランさわやか掛川インター前店
テレビ等に出てすっかり有名になってしまったコブシ大の炭焼きハンバーグ「げんこつハンバーグ」が人気のファミリーレストランです。ちょうど東名掛川ICの手前にありますので便利なのですが、休日の食事時は待ち時間がとても長くなりオススメできません。開店直後の11時台や17時前などの中途半端な時間ならばスムーズに入れるかと思います。

高天神城跡:今川氏、武田氏、徳川氏の攻防の舞台となった掛川市の山城跡です。大河ドラマでも1話のタイトルに使われるほど重要な役割を果たしました。建物は残っていませんが、132mの山に築かれた城郭跡を辿るハイキングを楽しめます。

粟ケ岳:この記事の本文中でも少しご紹介した「茶」の文字が描かれた山です。麓の茶店の無料駐車場から標高530mの山頂の神社や展望台まで、往復半日程度のハイキングコースがあります。周辺の東山地域のお茶の農法は世界農業遺産に指定されており、山頂からの茶畑と遠州の眺めは素晴らしいです。

葛城北の丸:袋井市にあるハイクラスのお宿です。2002年のサッカー日韓ワールドカップの際には日本代表の宿泊地として利用されました。

関連記事です。
紅葉の時期ならば、袋井市の小國神社が大変美しいです。



JR島田駅から石畳につながるルートもあります。4月~5月の新茶の時期におススメです。


東海道の絶景、さった峠を歩くルートです。