静岡ハイキング#5 東海道の難所・小夜の中山 歴史と伝承が彩るドラマチックルート 

静岡県やその周辺のハイキングコースを紹介していきます。今回は静岡県中部、島田市金谷〜掛川市日坂という東海道に沿ったルートを歩きます。2回の急登・急下りがあり、東海道の中でも難所のひとつですが、ひとつの道でいろいろな時代を体感できる、大変ドラマチックでおもしろいルートです。

目次

ルート概要

難易度:★★★★☆(2回の急登・急下りがあります)
適期:夏以外(舗装路が多いので暑くない時期がいいと思います)
始点:JR金谷駅
終点:JR掛川駅(事任八幡宮からバス利用
距離:約8km
所要時間:約4時間(休憩・昼食含む)
※赤ちゃん連れののんびりペースで歩いた場合の時間です。

アクセス

始点・終点がJRの駅となっていますので交通は便利です。車ならば、JR掛川駅側でコインパーキングを探すことをオススメします。JR金谷駅の徒歩範囲にはほとんど駐車場所がないので。。。。掛川駅〜金谷駅は2駅の距離です。
また、JR掛川駅へのアクセスは東名・掛川ICが良いと思います。新東名・島田金谷ICからJR掛川駅に向かうルートは渋滞が多い印象ですし、今回歩くルートと少し被っていますので興ざめの恐れがあります。

JR金谷駅からスタート

JR金谷駅から歩き始めます。最初が少し複雑なのでご注意ください。駅を出て、坂を下る方向に少しいくと、下の写真のトンネルがありますのでここで線路をくぐります。トンネルを出てすぐのT字路を右(再び駅側に登る方向)に進みます。

トンネルの手前にはこのような案内看板があります。「諏訪原城跡」や「石畳」を目指すルートにのりましょう。
我々は今回も1歳の娘ちゃんを背負って歩きます。

江戸末期の旅を体感「旧東海道石畳」

金谷駅の裏側を通過して古い町家風の民家が並ぶ急坂を登り、道路を渡るとこのような看板がありますので、斜面を登る方向に進みます。

石畳茶屋meguri」という古民家カフェがあります。

囲炉裏のある板の間や縁側に座ってお茶や食事を楽しめます。石畳観光に来た際には、休憩がてら縁側で煎茶セットを味わうのがオススメですが、今回は先が長いので通過します。

茶屋の脇に石畳の入り口があります。

東海道の金谷坂は急坂なうえに「あおねば」と呼ばれる粘土層が露出して雨が降るとぬかるみ、大名行列や旅人は大変苦労しました。そこで江戸時代末期、約400間(約720m)の石畳が「山石」を敷き詰めて造成されました。この時使われた山石は、牧之原台地の耕作土の下に厚く堆積している「牧之原礫層」に含まれている大井川の河原石と同じ丸石で、ザラついて滑りにくいものです。島田市観光協会WEBサイトより

大昔の舗装路ですね。ごつごつとした大きな石の間の溝に足を取られて歩きにくいと感じましたが、濡れた粘土の上を歩くよりは確かにマシな気がします。歴史を感じる道です。

石畳への願いを現代に繋ぐ「すべらず地蔵尊」

石畳の中盤に「すべらず地蔵尊」があります。こちらは現代の1993年に建立された新しいお地蔵さんです。

長い間旅人の足元を守ってきた”滑らない山石を敷いた石畳”に因み、このお地蔵様を「すべらず地蔵」と呼び、合格祈願や商売繁盛の名所となっています。毎年1月に開催される「すべらず地蔵祈願祭」では、”安全に・滑らず・転ばず・着実に進めるように”と、のぼり旗を揚げたり、絵馬やお守り、合格祈願鉛筆を求め、(中略)、県内外からたくさんの参拝者が訪れます。島田市観光協会WEBサイトより

小さな六角堂の中にお地蔵さんがいます。

このように2体が寄り添う形のめずらしいお地蔵さんです。一人が旅人を、もう一人が家族を表しているとのことです。

江戸時代のように長い距離を歩いて旅することは無くなりましたが、人生という旅は昔よりも長くなりました。その時々に訪れる難所を着実に越えていけますように、、、、石畳を作った人たちの思いを現代に引き継いでいるのですね。

戦国時代・武田軍の夢の跡「諏訪原城跡」

石畳を登りきったら、道路を右側・菊川方面に進みます。道沿いにおしゃれなコーヒー屋さんがありました。

アルム珈琲店」です。古民家を生かした雰囲気の良いお店です。今回は先が長いので立ち寄りませんでしたが、石畳や茶畑をお散歩する際にゆったりと休憩して行ってはいかがでしょうか。

アルム珈琲店から先に進むと、道沿いの広い駐車場の奥に「諏訪原城跡ビジターセンター」があります。外見からは、なんだかよくわからない施設で、素通りしてしまいがちなのですが、実はここは戦国の世の夢が垣間見える、壮大で素晴らしい観光スポットなので是非立ち寄ってみてください!
入場無料ですし、トイレもあるのでハイキング中に便利な場所です。

まずは、ビジターセンターの展示を見て諏訪原城の歴史を学びましょう。
今川氏滅亡後の1573年頃、武田信玄の息子・武田勝頼が、大井川以西の徳川家康の領地(遠江)を攻めるために造ったのがこの城です。牧之原台地にありますが、城内に諏訪大明神を祀ったため「諏訪原城」と呼ばれたとのことです。(Wikipedeiaにさらに詳しい説明が掲載されています。)

ビジターセンターの裏手に進むと、建物は残っていないものの、林の中に自然の地形とは異なる大きな掘の跡があり、壮大な山城だったことが想像できます。

この諏訪原城は牧之原台地の突端にあり、周りは断崖です。当時の駿河国と遠江国を隔てる大井川を東側に見下ろしつつ、侵入路を一方向に限定させる位置どりになっています。
今では大井川からの風が抜けてきて、石畳の急登で汗をかいた後に大変気持ちのいい場所です。

何もない広い原っぱのようですが、迷路のように掘りが巡っており、全然まっすぐ進めません。見学ルートに沿って敷地をしっかり周ろうとすると30分はかかります。さすがは戦国の山城です。

写真ではうまく表現できていませんが、見下ろすと恐怖を感じるほどに深くて急峻な掘です。簡単には侵入できなかったのがよくわかります。
戦国の城を探検する気分で、一回り歩いてみることをオススメします!

菊川の里に下る石畳「菊川坂」

諏訪原城の先に、菊川の里に下る石畳が見えてきます。前述の金谷坂石畳の分、下っていきます。

平成の時代になって旧金谷町などの人の手により復元されたものです。(私も小学校のときにちょうど下の写真のあたりの石をひとつ設置した記憶があります。)

風通しの良い木陰がちょこちょことあり、比較的歩きやすい道でした。

金谷坂も菊川坂も石畳の大部分は現代に復元されたものですが、一部、江戸後期に作られたものがそのまま残っている区間があります。大変貴重なものですので、昔の旅人への思いを馳せながら歩いてみてください。

石畳の途中から、東海道の正規の宿である金谷宿と日坂宿の間にある「間の宿」とされた菊川の里の街並みが見えてきます。
菊川の里の道沿いに説明書きの看板がありますが、金谷〜日坂の区間は2つの山越えがあり、東海道でも指折りの難所であったため、人足や旅人の休憩に便宜をはかって作られたそうです。菊川では、金谷宿の許可がないと旅人を泊めることができず、本格的な料理を出すことも禁じられていたそうです。か
、、、、なんだか現代社会の正規社員・非正規社員の関係のようで切ない感じがします。。。

菊川の里を抜けると下の写真のような看板があります。「小夜の中山」を目指して進んでください。※見落としやすい看板なので注意して探してみてください。

「小夜の中山」鎌倉時代から旅人の思いを残す東海道の難所

「小夜の中山」(さよのなかやま)とは、掛川市の佐夜鹿という地域にある峠の事です。標高250m程度で、それほど高いわけではないのですが、急峻な斜面に対してほぼまっすぐ登っていく急坂は東海道の中でも箱根等と並ぶ難所とのことです。
下の写真は東側の菊川の里から小夜の中山を登る坂道です。

google mapの機能で等高線を表示してみると、東海道は等高線に直角に引かれており、坂の険しさが伝わってきます。それでも周辺に沢と山しかないこの場所では、良い迂回路は無かったのでしょう。現在では北側にトンネルが彫られ、沢沿いに迂回する道路が敷かれています。

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